July 18.1988
6:00 A.M.
手袋をはめた手で南京錠をあけてのけたスペクターは、できるだけ音を立てぬよう気を配りながら、
わずかに開いた鋼鉄の扉の隙間から身体を忍び入れ、後ろ手でドアを閉める、ここまでは手筈通りだ。
倉庫の中の照明は、中央に吊るされたたった一つのランプのみで薄暗く、埃とまだ真新しいペンキの
匂いがたちこめている。
目を凝らすと、ピエロ、政治家、動物といった様々なマスクの入った箱が散乱しているの
が見える。
彼はまるで何ものかから身を守るかのように、その中から熊のマスクを取り出して身につけた。
鼻にプラスチックの当て板があたり固定され眼の穴も、多少小さいように思われたが問題ない。
スペクターは、誰も近づいてきていないのを黙視で確認した後、暗がりから明るい中へ踊り出た。
最悪の状況、待ち伏せや罠等を予測して、数分早く着くようにした。
それが最善に思えたのだが、埃が舞いあがるのが目に付き、蛾のたてる羽音が聞こえる以外は静寂そのものだ。
「そこにいるのか?」
その時、明かりの外から、かすかな、男のものと聞き取れる声が響いた。
「ああ、俺だ、だがなぜ姿を見せない?」
「俺が誰かはわからない、俺もあんたが誰かは知る由もない、それでいこうじゃないか」
書き付けだ、暗がりには皺のよった書き付けがあるはずなのだ。
「まぁ聞け」
スペクターは軽く長い息を吐き、気を落ち着けさせた。
こいつは俺のシナリオにはない。
奴が有利だ、光の外に微かに見える人影には、子供のように小柄な上背ながら、短い指と太い筋肉を兼ね備えた腕がうかがえる、そしてプラスチック製のグローブをはめ、その下から毛皮の覗いたその手には、マニラ封筒が握られているじゃないか、この男は極めて慎重だ。
「あんたの知りたいことは全てここにある」
「投げてよこせ」
彼の腕から放り投げられた封筒は、重い音を立てて落ち、埃とペンキをかき混ぜ斑点を作りつつ、灯りの灯ったエリアの縁まで滑って止まった。
スペクターは封筒に駆け寄り手を伸ばした。
熊のマスクを被った俺の姿はさぞかし間抜けに見えるだろうが、この際そんなことに構ってはいられない。
ところが彼はもう一通4つ折にされた封筒を取り出し指で挟んで見せた。
用心深いにも程があるってもんだ。
ジョージ・カービィーの名義で発行されたアトランタ行きの周遊券に百ドル束、こいつは5万ドルは下るまい。
「まずは半分、残りは仕事が終わってからだ」
彼の声はスペクターから遠ざかりドアに向かっているのが分かった。
紙片を広げ、光にかざしてみる、
「問答無用ってわけだ、チケットを払い戻しするって手もあるんだぜ、それはどうなんだい」
「そいつは預けとくよ、なぁにすぐさ。次に会うのが待ち遠しいだろう」
「まったくだよ、こんちくしょうめ」そう答えつつ、シャツをまくしあげ、封筒を折り曲げて中にねじ込んだ。
「なぜそこまで奴を憎む」
開いたドアから出て行く男の姿が一瞬眼に止まった。
身の丈4フィート、まるでドワーフだ。
「あんたは死んだって聞いたぜ、ギムリ」
答えはなかった。
埋葬され、ワイルドカード・ダイム・ミュージアムに陳列されているはずの男からの答えなど期待するだけ無駄というものだろうから。