ワイルドカード6巻その14

                午後5時

              スティーブン・リー



重いビロードのカーテンの向こう、いわゆるPodium Screen演幕の
後ろで、グレッグとエレンはエーミィ・ソーレンスンと合流したわけだが・・・
向こうからは、連中の騒々しいさえずりが響いてきて・・・
カメラのレンズが放つ紅く禍々しい光が感じられるようにすら思える・・
「準備は整ったようです・・待ち構えていますよ」
耳の無線レシーバーを指差しながらエーミィが囁いた。
「ビリー・レイからです、こちらの用意はいかがですか?」
グレッグは頷いて応じはしたが・・・
長くつらい午後になるだろうという思いは、拭えはしなかった・・
ジャックと渋面のダニー・ローガン(彼は思い通りになるパペットだ)が
ニューヨークの情報を集めてくるのがカリフォルニア戦略の一部とはいえ・・・
ジャスティス・デパートメントによって守られていた彼自身の痴情の話がでて
こようとは予想外だった・・
おかげで記者会見をセッティングせざるをえなくなったのだから・・
とはいえ幸いあいつは内にこもって沈黙を守ってくれている、
問題はギムリだ、そうギムリであったものといいかえてもいい・・
こいつはけっしておとなしくしてはくれない、内で騒ぎ立てているのだ・・
それだけではない、くすくす笑う声まで響いてくるではないか・・
今は声が響くのみとはいえ、もしまたあのときにようなことがおきてしまったならば・・
どうなってしまうだろうか・・・
まったくたいしたたまだぜ、なぁグレッギー、俺にゃ忌々しいほどよくわかっちゃいるがね
グレッグは息を大きく吸って聞こえない風を装い、エレンの手をとっておなかにそえ、
軽く叩いてからようやく声を出した・・・
「覚悟はできたよ、エーミィ、いこうじゃないか・・綱渡りのはじまりだ」
グレッグが笑顔をしつらえたところで、エーミィがカーテンをひいた・・・
そうして開けたステージに三歩踏み出すと、エレンもゆっくりとそのあとについてきてくれている・・・
閃光とともに記者たちのパシャパシャ立てる音が、イナゴの大群の立てる羽音のように思えてならない・・・
ともあれグレッグは記者たちが席につくのを待って、手にしたトニー・カルデロンの用意したスピーチ原稿を
一瞥してから、手を上げて始めることにした。
「うまれてこのかた、どうもこういう晴れの舞台というのは苦手でして・・」
そう切り出してから即興で、トニー手書きの草稿をひらひらさせてみせると、会場のそこかしこから忍び笑いが響いてくる・・
「とはいえ悪意と根も葉もない噂というものがある以上放っておくこともできずやむにやまれずといったところでしょうか・・
もちろんあなた方を責めるつもりもありはしませんよ、報道には、報道の責任というものがありますからね・・」
含み笑いを耐え切れない顔がほとんどとはいえ、まだしかめっつらのままの者もいる・・
そこでいったんん言葉を切って、トニーのメモを再び見て、それから視線を外して会場を見回してみた・・
トニーにブローン、タキオンといった見知った顔々が、粗を探すかのように視線を向けているじゃないか・・
そこでパペットマンに意識を向けてみたが、何の反応も返ってきはしない・・
少しリラックスしても問題あるまい、そう悟り続けることにした・・
「ともあれせっかくお集まりいただいたのですから、お望みどおり、何なりと質問にはお答えしますよ、
それをしなかった先達が踏んだ轍というものをこころえておりますから・・
そう噂とでまにまみれてどうしようもなくなることになる、ゲーリィ・ハートのように・・
まぁエレンあたりに言わせると、私はゲーリィ・ハートほど見た目がよくはなかったから助かった、
ということになるのですがね・・」
注意深くかつあからさまにメモを下において肘の下にしいてから、おおっぴらに苦笑している人々に
合わせて苦笑してみせ、さらに覆いかぶせるように言葉を被せていった・・
「もちろんそれだけじゃありませんよ、スタックドデッキでベルリンに行ったのは視察のためで、
ビミニビーチにバカンスに行くのとは事情が違う、そうは思いませんか・・
しかもエレンはそんな私にずっと付き添っていてくれたのですから・・」
そうして被せるように頷いてみせると、エレンはするりと笑顔を浮かべている・・・
上院議員・・」襲い掛かるような鋭い光に目を細めながら、その声の持ち主、
ロサンジェルスタイムス誌のビル・ジョンソンに目を据えると、メモを振り回している
のが視線にとまった・・・
そこでどうぞと身振りで示すと早速口火を切り始めた・・
「それではセイラ・モーゲンスターンとのご関係は否定なさるのですね」
「もちろんミズ・モーゲンスターンのことは存知あげていますよ、エレンが知っていると
同じくらいにはね・・なにしろ家族ぐるみでのつきあいがありましたから・・
もちろんどんな問題をかかえていて、何を言い出したか、またあえて話さなかったかまで
は与り知らぬことではありますが、私は妻の後ろに隠れることにした次第でして・・」
エレンが、イタズラな視線とともに寄り添うように言葉をかぶせてきた
「ビル、ペレが現れたら視線をさまよわせる殿方はグレッグだけじゃなくってよ」
笑いが巻き起こり、フラッシュの閃光とともに、室内の緊張は、目に見えて
ほつれていった・・・
緩んだ苦笑の表情とは裏腹にグレッグのこころは冷えきっている、
耳にギムリの声が囁き続けているのだから・・・
弄んだのだろ、散々かき乱しておいて、それで満足させられたとでも思っていたのか?
あんたの侘しいエースとやらは笑顔を浮かべさせてそれで満足しちゃいたようだが・・
向こうはけっして充たされちゃいなかった、それだけの話じゃねぇか?だとしても、
そいつもパペットマンがいてようやく保てていた、ってぇ話だがなぁ・・・

握った手に生気がなく、グレッグの様子がおかしいのにエレンは気づいていたが、
その瞳の奥に困惑を湛えつつも、笑顔を保ちつつ、握る手に力をこめてその感情を伝えてきている・・
たいしたプロ根性だねぇ、どのタイミングでどう話し、どう笑顔を使えばいいかこころえているんだから・・・
実に打たれ強く腰も据わっているときている、誇らしいものだねぇ、それに比べてあんたときたら・・・
あんたはろくでなしだよ、俺もそうだがね・・・
だがそのちびのろくでなしでも、あんたの人生をだいなしにするくらいはできるんだぜ、あんた子飼いのエースと
やらを白日にさらしゃいいんだから・・・

その声を耳にしつつも、鼓動に集中し、笑い声がそこにまぎれていくのを待ち、そうしてののしる声に耳を
貸すのをやめた・・・
「エレンも言ったとおり、私とて聖人君子ではありませんよ、人並みの欲というものは持ち合わせています、
ペレグリンに対し失礼なものいいになるかもしれませんが、だからといって私はペレに手をだしは
しませんし、まったくのでまが一人歩きしているのは苦笑いするしかありません・・・
それはただの噂話であって、まったくの事実無根といえます・・・
それよりむしろそうしたでまがどうして流れたかの方が問題ではありませんか・・・
流言の秘めた意図というやつが気になってならないのです・・・
このでたらめを広めた首謀者が誰かということがね・・・」
「つまりレオ・バーネット氏かそのシンパが意図的に流したとおっしゃるのですか?」
NBCのコニー・チャンの声だ・・・
「もちろん名指しはしませんよ、ミズ・チャン、その根拠もつかんでいませんからね・・
とはいえ彼のような信心深い人間が、むしろそんな道徳に反した行いはしないものだと信じたいものですが・・
嘘なんてものはどこからでも立ち上ってくるものです、ミズ・モーゲンスターンの件は翻ってそれを証明したと
いえるのではないでしょうか・・・」
たづなは完全にとらえた、流れは変わった、それが理解できる、いや感じることができる・・・
軽い勝利感に似た、そう慣れ親しんだ感覚だ・・・
皮膚の下につながる糸を感じ、パペットマンがそれをたぐる・・・
内に秘めたものが、顔を覗かせてくる・・
今はその刻ではあるまい
そうして言い添える
慌てる必要もないと・・・
いつまで耐えられるかなぁ、
ハートマン、あんたはあれなしじゃいられない、
そうともパペットマンはまさにドラッグだ、
治療が必要だというのに、あんたはそれを放っておいた、
依存してるってやつだ・・・
そうしてくすくす笑いながらさらに続けた・・・
どうせ使わずにゃいられないんだろ、使っちゃどうだい、実に憐れな話だがねぇ
エーミィとエレンが気遣わしげに見つめている、
どうやら表情を強張らせて沈黙していたらしい、
わびるように肩をすくめてから続けることにした・・・
「わずか数分前にも間違いはあった、ビル・ジョンソンですらね・・
私を<上院議員>と呼んだのです・・・
この選挙のために、その役職を返上してそろそろ一年にもなろうというのにですよ・・
まぁそれも仕方ないことかもしれません・・
今のところ、まだ他の肩書きを手にいれてはいないのですからね・・」
そこで少し興が乗ってきた・・
「慣れというものはおそろしいもので・・」
トニーの筋書きに多少の脚色を加えて続けることにした・・
「それは知らず知らずに己の行動を蝕んでいるものですが・・・
それが外見によって曇らされたものいいであったり、旧い評判や差別であったと
したらどうでしょうか・・
根拠のない噂を耳にしてそれを鵜呑みにしてはいないでしょうか・・
なぜなら流れに身をまかせた方が楽だから、そうではありませんか・・
ジョーカーは忌まわしい存在であると叫び、彼らを嫌悪する権利があるとすら
履き違えている、もちろんそれはジョーカーに限ったことではありませんよ・・
見かけが異なっているから、行いが少数派であるからと・・
そうした悪習は断ちがたく思われるかもしれない、抵抗しない方がいいと
叫びすらするかもしれない・・・
そうした考えは、信仰心を冒涜するといった言葉に置き換えられて、巧みに人々の
目を、そして良心すらも曇らせているように私には思えてならないのですよ・・・」
そこでエレンに目配せをすると、力強く頷き返してくれた・・・
ギムリはまだ消えていない、その声が脳裏に響き、早鐘をうつかのように痛んでならない・・
演幕の後ろに駆け込み、一人になりたい誘惑に駆られながらも、急く息をおさえ、
ともあれ語気を緩め、続けることにした・・・
「無謀な賭けと呼んで差し支えないでしょう・・
私が目指そうとしていることは政策とも呼べないものなのですから・・
途方もない話に思われるかもしれませんが・・
殺意すら抱いた相手を理解し、ともに手を取り合って痛みを癒すことこそを・・
理解の及ばなかった相手に対してすらも・・
そうした志をもつこと・・それこそが重要だと考えているのです・・・
それこそが人の持つ良心を信じるという根源的希望を持つことであり、
それによって暴力しか産みはしなかった互いの溝を埋めることになるでありましょうから・・
感情に溺れ、一度道を踏み外したものたち・・・
そうした不幸なジョーカーたちに対してこそその精神が必要なのではないでしょうか・・」
そこで舞台の後ろを手で指し示し・・「エーミィ、彼らをここに・・」
そう声をかけると、ステージの後ろのカーテンが開いて・・
二人のジョーカーが照明の下に踊り出てきた・・
一人は・・
ぎざぎざした背骨と皮膚が目立っており・・
もう一人はカーテンの後ろの影が歩みだしてきたようなそんな幽鬼じみた姿をしており、
一瞬で報道陣がざわめき始めたのがわかる・・
「ファイルにシュラウドです・・
昨年JJSの解散が報じられたときに、かなり紙面を賑わしたことがありますから・・
もはや紹介するには及ばないかもしれませんが・・」
内でギムリがくつくつと笑い声をたてているのが響いているが、そいつは飲み込んで
続けることにした・・・
「JJSでも、活動的でも危険でもないと判断されたものは罰金を課せられて釈放された
わけですが・・・
他の危険と目されたものたち、ファイルとシュラウドはそこに含まれていて、連邦刑務所に
収監されていました・・・
彼らが手をそめた犯罪、その被害者は他ならない私なのですが・・
彼らがその収監で辛いめを見たことで充分に後悔していると聞き及びました・・
そこで先の信念に鑑み、己よりわずかに不幸であったものたちには許しが必要で
あると考え・・・
ニューヨーク知事クオモ氏並びにジャスティス・デパートメント及びニューヨーク上院
議会の名の下に、ファイルとシュラウドの恩赦を申し入れました・・・
そこで二人の肩、に両手をおき、ファイルの粗い肌とシュラウドの亡羊とした感触を
感じながら続けた・・・
「噂よりはるかに重要なことがあります・・
それは真実です・・・
私の噂などはたいした話ではありません、彼らに問いかけ、彼らの言葉に、耳を傾けて
いただきたい・・」
記者たちから怒号のごとき質問が迸り、ファイルがマイクの前に駆け寄ったところで、
息を大きく吸って、その場をあとにすることにした・・・
わかっちゃないねぇ
会場を出て、エレベーターに向かうグレッグに、その声がつきまとってくる・・
そうとも重要なのは真実だとも、だから俺は許しちゃいない・・・これで片付いたと思っちゃ大間違いだぜ、俺は離れやしないからな
そう内で陰々と響きながら・・・



                 ヴィクター・ミラン

感覚を失った指から、受話器を元に戻して・・感情の名残を目にとどめたまま部屋から出た・・・
人ごみに紛れてしまえばさほど目立ちはしない・・・
様々な局面で小柄な体格を利用して得た経験則だった・・
だがそれがうまくいったのはわずかな間のみにすぎず・・・
ロビーに出たところで、記者たちが喰い付いてきた・・・
公式会見での否定報道の仕上げとして、死肉に群がってきたとみえる・・
ハートマンは真実を語っているのか?
あなたとバーネット氏との関係が噂されていますが?
バーネット陣営の選挙戦略ではないのですか?

投げつけられる言葉が己の心を引き裂いていくように思える・・
語れば語るほど、原理主義者に加担したようにとられ、かの上院議員(実際は元だが)の
名声を高めすらするのだから・・・
己の一部が、真実を語るべきだと訴えてずきずきとうずいているではないか・・・
ハートマンと閨をともにした、そこで彼の正体を知った・・・
あの男は怪物だ・・・
人の心に入り込んで弱みをつかみ、人形にしてしまい操る秘密のエースなのだと・・
だがそれは賢明とはいえまい・・・

真夜中の太陽のごとく眉唾物のタブロイド記事の仲間入りにされるだけに違いない・・・
そこで顔を彼らからそむけ「ノーコメント」と言うにとどめた・・・
そうして迸ろうとする感情すらも飲み込もうとした・・・
「それでいいのですか?大衆には知る権利というものがあります・・
神聖にして不可侵な権利です、あなたもジャーナリストならばお分かりでしょうに・・・」
そこで短い黒シャツにレオタードというバーテンの一人に呼び込まれて支配人の部屋に避難できた・・
受話器が薬莢の装てんされるような音を立てている・・・きっと深刻な話にちがいない・・そいつを受けると・・・
相手はポスト詩ニューヨーク支局のオーウェン・レイフォードで・・・

クリサリスが死んだ、殺人でエースの関与が囁かれていると・・・

オーウェンはパペットではないのか?
疑いがこころをよぎる・・・
ハートマンの糸は離れた場所でも威力を発揮するのだから・・・
しかしエースとは厄介だ
ブラジオンにカーニフェックス、あるいはスリーパーかもしれない・・・
アンフェタミンがきれたら、そのために殺人に手を染めるのもありえる話だ・・・
悪事を行わせるに際し、金に権力もあるだろうに、エースの力に頼らなければならないと
いうのもなんだか皮肉に思える・・・
まぁ1946年9月15日(ワイルドカード投下日)以降は彼らの方が使いやすくなったのかもしれない・・
そう考えると、恐怖が・・
灼熱の恒星、いや蛇のように己にからまってくるのを感じながらも、ともかく立ち上がり、
ともあれ救いの手をさしむけてくれたことになる、好奇の表情を浮かべている支配人とウェイトレスに
笑顔を見せることにした・・・

    「戻る道などありはしないじゃない」そう言い聞かせながら・・・