ワイルドカード6巻第三章 その12

      メリンダ・M・スノッドグラス
        1988年7月20日
         午後11時


弦の上の指を下らせながら・・・
ヴァイオリンの調べにのせてため息を奏でている・・・
そうしていると私服警備員が胡乱な目つきを向けてきた・・・
タキオンが丁重に頷いて見せると・・・
相手が誰か気づいたとみえて・・・
フルールの部屋の前で足を組んで腰掛けている異星人の元に
あからさまな好奇を態度に滲ませて駆け足で近寄ってきた・・・
騒音で満たされた近くの部屋にまで音が漂ったということだろう・・・
「おや」
「こんばんは」
「私の娘があなたにご執心でしてね・・
もし私があなたにお会いできてサインをお願いしなかったと聞いたら
私はあの娘に責め殺されることになるでしょう・・・
お願いしてよろしいでしょうか?」
「かまいませんよ、喜んでサインいたしましょう・・」
タキオンはポケットからノートを出して訊ねた・・・
「お名前は?」
Trinaトリナです」
トリナへ、愛をこめて
そう言葉を添えてサインして差し出すと・・・
「失礼ながら、こんなところで何をなさっておいででしたか?」という言葉が返されてきた・・
「この部屋のレディにヴァイオリンの演奏を捧げようと思い立ったのです・・」
「ほうそいつぁロマンティックですな・・」
「だといいのですが、ご迷惑でしたかな?続けてよろしいでしょうか?」
男は肩をすくめて応えた・・・
「それでは他の客から苦情が出るまでは多めにみるとしましょう・・」
「御深慮に感謝いたします・・」
タクはそう応えると、顎の下でヴァイオリンを抑えて再び奏で始めた・・・
4年前に習得したのショパンエチュードという曲をソロヴァイオリン用に
アレンジを加えたものだ・・・
そうしていると意識が透明な玉のようになって弦の上を流れているように感じられてくる・・・
岩にぶつかった水が呟くかのように・・・
愉しげな調べの裏に悲しみが顔を覗かせていて・・・
様々な女性の顔がそこに浮かび上がってくる・・・
ブライズ、エンジェルフェイス、ルーレット、フルール、クリサリスの顔だ・・・
さらば、古き友よ
そう呟いているとドアが乱暴に開かれて・・・
あの人の怒りを顕わにした茶色い瞳を見つめることになった・・・
ああ、愛しい人よ
「あなたはこんなところで何をなさっておいでですか?
どうして私をそっとしておいてくださらないのですか?」
そういったその顔はぼさぼさの髪で覆われたままだ・・・
「できなかったのです」
膝をついてすがりつくようにして言葉を投げかけてきた・・・
「どうして私につきまとうのですか?」
「それを私に訊ねるのは酷というものです・・・
いかにそれを言葉に乗せられようか?」
「あなたがかかわったものは皆損なわれ壊れていったというのに・・・
今度は私をそうしたいとおっしゃるのですか?」
否定はしなかった、いや否定できなったというべきか・・・
「お互いに罪の意識があるのではありませんか?
二人ならばそれを薄めることができるのではないでしょうか?」
「そんなことは主以外にはなせないわざです・・」
タキオンは房になってもつれた髪に思わしげに指で触れながら・・・
「あの方と同じ顔を持ちながら・・・
あの方と同じ魂を持ちえないということがあるでしょうか?」と言い募ったが・・・
「おぞましいことを言わないで、あなたが見ているのはもはや存在しない
人間の幻だということがわからないのですか?」
首が乱暴に引かれて・・・
指が頬に触れはしたが・・・
そのしっとりした感触からは・・・
乱暴に引き離されることになった・・・
そうしてフルールは壁の向こうに引き込んでしまった・・・
タクは弓を手にして弦の上を走らせて・・・
そうして演奏することしかできはしなかった・・・
痛みに似た名残をその身に感じながら・・・