ザヴィア・デズモンドの日誌パートⅨその1

ザヴィア・デズモンドの日誌
             G・R・R・マーティン

              3月14日 香港

遅くには少し良くなったようで、そう言って差し支えないことと思います。
オーストラリアにニュージーランドの滞在はわずかな間であり、
シンガポールジャカルタは近くをよぎったにすぎないとはいえ、
シドニーは故郷のように感じられるくらいで、オークランドなどは比較的
小奇麗で幸運なかたちの小ジョーカータウンとでもいうべきものが形成され
てはいましたが、それでも彼らを呼ぶ際に多用される「Uglies(醜き者)」
という言葉の響きには、より攻撃的なものが感じられ、胸が痛んでなりません。
とはいえこのキウィの島の至る所でみかけた同胞たちは、幾分礼儀正しく扱われ
ているように見受けられはしましたが・・・
週遅れではありますがホテルではジョーカータウンクライ紙を入手することも
できました。
その記事の大部分がジョーカータウンを舞台として繰り広げられているギャングの
抗争の記事ではありましたが、故郷のニュースを読めること自体は心和むことと
いえるでしょう・・・
香港にもジョーカータウンはありまして、そこには未だに他の都市からの絶え間ない
流入というものがあるとのことで、中国本土がそこのジョーカーをここ直轄領に遺棄
しているのだ、とわたしは考えてすらいます。
明日わたしはクリサリスとともに<香港とニューヨークのジョーカー間による商業的
提携>についてジョーカー商人の有力者と昼食をともにしながら話し合うことになって
いますので、探りをいれてみようと考えています。
正直仲間の使節たちから数時間とはいえ離れることができるのが幸いといっていいでしょう。
どうにもスタックド・デッキ内の空気が不穏なものに感じられてならないからで、それは
トーマス・ダウンズの大層な報道に対する使命感によってもたらされたものに他なりません。
それは香港を離陸するときに、キリスト教会で手紙を受け取った際におしつけられた最新の
エーシィズ誌に端を発していました。
ディガーは移動中に関わらず、通路のあちこちで、もはや常となった愛想笑いを浮かべながら
迷惑をものともせず、そいつを手にして見せびらかして回っていたのですから、あのろくでも
ない男と、あのろくでもない雑誌を先に眺めさせられて時間をつぶす栄誉を充分に担えないの
は実に残念であると一応申しておきましょう。
その後に眺めたエーシィズ誌の第一面は彼によるペレ妊娠の報道で飾られていて、ペレの赤子
に対して他の記事、例えばシリアにおける明らかにされていない惨劇等の記事すら、これの
半分にも満たない扱いで、これほど大きな関心を示していることには興味が沸いたほどでした。
もっともその4ページほどはペレの過去現在における足跡をたどったものであり、きらびやかな
コスチュームの数々や日常の姿で埋め尽くされていたのではありますが・・・
ペレの妊娠の噂はインドくらいから囁かれはじめ、タイについたころには確実な話として報じられ
ていましたが、その出所はやはりディガーのようで、エーシィズ誌がその一翼を担っていたのです。
不幸にも、彼には身体的な不具合などありはせず、スタックドデッキに乗り込んだ仲間意識もありは
せず、ペレの<デリケートな状態>というものをものともせず、個人的都合にすぎないとばかりに
ディガー(掘り出し屋)の渾名の如く、際限なく掘り出そうとしている・・・そうして仕立てられた
エーシィズ誌の表紙には「ペレの赤子の父親は誰か?」の文字が躍っており、そこを開くと、赤子を
抱えたペレの姿が描かれていましたが、腕の中の赤子の姿は真っ黒なシルエットにクエスチョン
マークが添えられていて、顔のところにだけ文字が、そこには「父親はエースでしょう」という
タキオンの談話が引用されている、それだけではありません、あろうことかその下のオレンジ色の
大見出しに「身の毛もよだつジョーカーベビィだったら堕胎するよう友人はいっているけれど」と
いう文字がご丁寧に添えられているではありませんか・・・
噂によれば、シンガポールの夜陰に紛れたいかがわしい地域で、ディガーはタキオンにブランデー
をもって、分別をなくさせ、その話を引き出したとのことでした。
たしかに赤子の父親の名前を明かしはしなかったかもしれませんが、普段から酒が過ぎると、
9パーセントの子供はジョーカーとして生まれてくる可能性がある以上、中絶すべきだという
言葉を口にしていると聞き及んでいます・・・
実をいいますと、その話を聞いたときに、私は冷たい怒りを感じるととともに、タキオンが私の
主治医でなかったことに安堵の感情すら感じていたのです。
そしてこのときに至り、タキオンがいかに私や、ジョーカーに対して友人であるふりをするのに
努力してきたのだろうか、と思わずにはいられませんでした。
In Vino Veritasイン・ウィノ・ウェリタス(酒の中にこそ真実あり)との言葉の通り、ペレグリン
ような状態にある女性は中絶するのが最善であるという考えを明らかにしてしまった・・・
タキスの人々は、奇形を忌み嫌い、恒常的にいびつな姿で生まれた赤子の<Cull間引き(なんと
オブラートにくるまれた表現でしょう)>を行ってきたのです。
その数は少数であり、しかもなんと寛大にも、地球の人々にも振舞われたウィルスの祝福をうけた
わけでもないというのに・・・生まれてまもなくその生命は摘まれてしまうのです。
感傷的にすぎると、読まれた方は思われるかもしれませんが、タキオンの言ったとされるその言葉
には、ジョーカーには死を与えるのが好ましい、すなわちジョーカーとして生きるよりはましという
含みが明らかに感じられてやりきれず・・・
その雑誌を閉じたのちも、その感情はつきまとい、タキオンと顔を合わせたときに、理性的に振舞える
自信すら持てはしませんでした。
そこで私は起きだして、記者たちの居住する区画に赴くことにしたのです。
ダウンズに詰め寄ろうと思い定めました、少なくとも<ジョーカーベビィ>の前に無法に飾られた
<身の毛もよだつ>という表現が実に痛ましく思えてならず、その思いだけはぶつけてやらねば気が
すまないと考えたからです。
ディガーは私の姿を認めながら、まだ横目で眺めるといった風情で、彼の関心を引くには私がいかに
憤っているかを示さねばなりませんでしたが、彼はそれに対してくどくどと言い訳を始めたのです。
「おいおい、俺は記事を書いただけだぜ・・見出しの文字はニューヨークでつけられたもので、
もちろん絵だってそうだ、俺にはどうしようもなかったんだよ、まぁまぁデズ、戻ったら連中に
あんたの異議を伝え・・」
その言葉はそこで断ち切られ、結局何の約束も取り付けることはできませんでした。
後ろからつかつかと歩み寄ったジョッシュ・マッコイが、丸めたエーシィズ誌をディガーの肩に叩きつけ、
ディガーの振り返りざまにカウンターをくらわしたのです。
はじめのパンチは鼻を折り、その様子に私は毒気を抜かれてしまいました。
そしてディガーの唇が裂け、歯も何本か折れるに至り、ようやくマッコイの腕を抑え、鼻を首に巻きつけて
制止を試みましたが、彼の怒りは激しく、たやすく振りほどかれてしまいました。
実に残念なことに、私の腕力というものはさほどのものではなく、まして今の私の体調ときたら、哀れな
までに無力なものにすぎませんでした。
それでも幸いなことに、彼が深刻な怪我を負わされる前に、ビリー・レイが現れて、二人を引き離してくれ
ました。
お陰でディガーは機内でおとなしくなって、痛み止めをたらふく服用せねばならなくなったのですから・・
その際にカーニフェックスの白いコスチュームの前に抵抗したディガーの血が迸ったようでしたが、
ビリー自身はそういった見た目というものにはあまり頓着しないたちのようで、ふてぶてしくも
「血糊なんてものはいつだってふりかかるものさ」と常のごとく言い放ってすらいました・・・
マッコイはハイラムにミストラル、それにジェイワーデンと連れ立ってペレをなだめに行きました。
マッコイがディガーとひと悶着起こしたとき、ペレ自身もあの記事に驚きを隠せず、タキオン
詰め寄りにいったとのことでした。
それは激しいものではありませんでしたが、実に劇的なものであったとハワードから聞かされました。
タキオンは何度も何度も謝り続けましたが、どれだけ謝罪を重ねようとも、ペレの怒りをなだめることは
適いませんでした、それでもハワードが言うには、彼女の鉤爪は小物入れに終始安全に納められたままで
あったとのことでそれ以上のことがなかったのが幸いであったといえましょう・・・
そうしてタキオンペルシャ絨毯に粗相をした子犬のごとく縮こまり、ファーストクラスのラウンジに
レミーマルタンのボトルを抱えて引きこもってしまいました。
このタキオンのひどい有様を見ては、いかに鈍感なものであろうとも、怒りを持続すること自体が難しい
といえましょう、もはや私自身の憤りを彼にぶつける気にはなれませんでした・・・
私はいったいこの旅に何を求めていたのでしょうか・・・
香港から中国本土に至り、広東に上海、それに北京といった地での滞在は実にエキゾチックなものであり
ました。
万里の長城紫禁城に脚を運ぶこともできるでしょう。
第二次大戦のおり、私は他所の世界をこの目で見るために海軍に志願することを選びました。
ことに極東の地というものは魅惑的に思えたものですが、結局負傷して、ベイヨーンやニューヨークでの
デスク勤務に落ち着きました。
それでもマリーと私は、子供が充分に大きくなったならば、そこを訪れようと語り合ったものですが、
そのときは適いはしなかったものです・・・
経済的問題でのびのびとなっているうちに、私たちの計画は、タキス人の悪魔の計画によって別の
ものに塗り替えられてしまったのですから・・・
中国の地に立つということは、なしえなかった願い、すなわち私自身のジョルスン物語、というものを
思い起こさせてなりませんが、そこに立ったということには地平線の彼方がぼんやりみえてきたような
感覚を覚えてなりません、すなわち旅の終わりが本当に近いということを・・・おぼろげながら
示している・・・そう思えてならなくなったのです・・・