ワイルドカード4巻「内なる鏡」その3

                 内なる鏡  
                メリンダ・M・スノッドグラス

ベルサイユ、そこは王の威光に捧げられた最も大きな建造物であり、そこに立ち止まりParquet寄木細工の床を踏みしめ、シャンパングラスに映る景観は、まるでわが故郷が歪んで写ったかのようにすら感じられ、故郷に帰ったような錯覚すら抱かせて・・・叫びたい衝動が己が身を蝕む・・・
この世界にはもはや美しいものなどありはしないではありませんか、もはや未練などありは・・・
いいえ、そうではないのです、そこで友人たちの顔々を見渡し思い直す・・・
まだ残されたものはあるはずなのだ、と・・・
そこでハートマン選り抜きの秘書の一人が肩を寄せてきた。
ドイツでの誘拐騒ぎで幸運にも生き残ることができたにしろ、旅が進むにつれ徐々に気力を削いでいかれるような状況ながら、保安要員は増強されているのだから、この若者はなんとか生きて故郷を踏みしめることもできるだろう・・・
「ドクター、Monsieur De Valmyムッシュ・デュ・ヴァルミが面会を求めていますが・・」追憶を破って響いてきた若者の声が促す先にいる男、
Franchot De Valmyフランショー・ドゥ・ヴァルミは、ゴール以来の、最も有力な大統領候補だと聞き及んでいる。
人ごみの中から、背が高くふさふさの栗色の髪に混じった2インチほどの白いラインが鋭さと攻撃的なものを感じさせる細身の男がすたすたと歩み寄ってきた。
もちろんその印象自体は彼がワイルドカード感染者、すなわちエースであることを証明するものではないであろうし、この国でもエースの存在に対してピリピリしていることには変わりはあるまいが・・・
そこでハートマンとドゥ・ヴァルミが握手を交わした、政治家同士の演じる茶番としては別段珍しい光景でもない、
二人の狩人が互いの権力とカリスマを踏み台にして、自国での立場を強いものにしようと利用しているにすぎないのだろう・・・
「Sir、Dr Tachyon(サー・ドクター・タキオン)」
ドゥ・ヴァルミが視線を転じ、強い意志を湛えた緑の瞳を向けてきた。
タキオンの育った星では、魅力とカリスマが特に力を持つ文化的素地があった。
この男ならば、タキスの基準においても強い力を発揮できただろう、
それはワイルドカードの賜物だろうか・・・
「ドクター、お会いできて光栄です」英語で話しかけてきたその言葉に、タキオンは胸に拳を当て、フランス語で答えた。
「光栄なのはわたしの方というべきでしょうか・・」
「こちらの科学者によるワイルドカード研究に対する興味深いコメントがうかがえましょうから・・」
「ともあれまだ着いたばかりと申し上げるべきですかな」
襟の折り返しをつまみ、視線を上げて、ドゥ・ヴァルミに胡乱な目を向けて言葉を続けた。
「そしてそのコメントは報道されることになるのでしょう・・他の候補者にも会わなくてはいけませんね」
ハートマン上院議員が不穏な空気を察して向かってきたが、ドゥ・ヴァルミは笑みを崩さず答えた。
「じつに如才ない方ですね、いかにも下心はありますよ・・」
「そうとばかりもいえないでしょう・・」ハートマンが苦笑しながら代わって言葉をついだ。
「次期大統領は確実といわれていますからね・・」
「なるほどダメ押しというわけですな・・エースという肩書きは瑕瑾になりませんか」
「さほどでもありません」
「ではいかなる力をお持ちですかな」
ドゥ・ヴァルミが手で目を覆って答えた。
「嗚呼ムッシュタキオン、お話しするのも恥ずかしいことながら、じつにささやかな能力でして、
手品のようなものです」
「これはこれはご謙遜を・・」
ハートマンの秘書が好奇を顕わにしたのを目にして、タキオンはいたたまれないような思いに包まれた。
皮肉や当てこすりをいったところで、人を不愉快にさせ疲れさせるだけではないか・・・
「わたしは政策と指導力で選挙に臨むつもりです、他のものに頼るつもりはありません」
その言葉を笑みでそらして、グレッグ・ハートマンに視線で会話を引き継いだ。
「いえいえそういうことでなくてですね、ワイルドカードに感染するということは社会的には
足かせになるのではないかということです、わたしの国ではそれは生命取りになりますからね」
そこで上院議員が顔を寄せて小声で囁いた「レオ・バーネットです」
「なんとおっしゃいました」ドゥ・ヴァルミが困惑も顕わに聞き返してきた。
原理主義者の司教で、ワイルドカード感染者に対する悪法を現代に呼び戻そうとしているのです」
「それはひどい話ですね、上院議員、彼らを施設に監禁したり、避妊手術を施そうとしたという話
は聞き及んでおりますから・・・」
「じつに不愉快な話ですが、今回はそれが眼目ではありません、ヨーロッパにおける中距離弾道弾の
段階的削減について話し合いができたらと考えております、わたしは現在の政策を支持するわけでは
ありませんから、他の上院議員がどう考えているかはあずかり知らない話ですが・・・」
そう話の網を広げて、ドゥ・ヴァルミや秘書たちの関心をうまい具合に引き上げていってくれた。
そこでタキオンはようやくシャンパンを飲み下すことができたが、頭上のシャンデリアの投げかける
光が、細切れの鏡によって増幅さればらまかれるさまは、ガラスの破片が降りそそぐように思えて煩わ
しく、さらに一口シャンパンを啜った。
アルコールもまた頭痛と不快の一因であることはわかっているが、何百もの声が弓に張られた弦の響
きのように突き刺すように押し寄せ、外からも好奇と憧れの視線を向けている人々の感情を感じ続け
ている
鋭敏なテレパスとしてのその感覚は、忙しく押し寄せる波のように感じられ、彼を打ち据えるのだ。
まるでパレードがブールヴァードの栗林を進むがごとく、そのLes ases fantastique神秘の人々を一目見ようと首を伸ばし手を振る数多の人々の姿を目にすると、今まで他の国で感じた憎悪と恐怖の感情に比べれば、そうした歓迎の様子には安堵の感情を感じないこともないが・・
何よりも喜ばしいのは、今では彼を待つ人々と、戻るべき国があるということだろう・・とはいえそこにも様々な問題が残されているのだ・・・
マンハッタンだと、ジェイムズ・スペクターは野放しになったままで、それは死自体が我が物顔で闊歩しているに等しい。
他にも彼が関与した怪物はいるのだから、帰国したならばそれに対処しなくてはならない、スペクターの痕跡を辿り、彼を探し、止めなければならないだろうし、じつに間抜けなことながら、己につきまとっていたにも係わらず同じく野に放ったルーレットもいる。
ルーレットはあれからどうしただろうか、どこにいけたというのだろうか?
見逃したのは間違いだったのではないだろうか?どうしてわたしは女性が絡むとこうも愚かになるのか?
タキオン・・こういうこともあるのね」
ペレの明るい声が、モーツァルトの響きにのって耳に届いて、
もやもやした想念から彼を引き戻した。
視線をその扇情的な前や後ろの膨らみから厳格にそらしたまま、なんとか
笑顔で返すことができたが・・・
ハーレムの自動車工こと、モーデカイ・ジョーンズも着慣れないタキシードに
押し込まれたようで居心地悪げで、背の高い金とクリスタルで飾られた街灯を、まるで
襲いくるのを待ち構えているかのように見据えてまだピリピリしているではないか・・
伴奏と光の洪水はファンハウスのミラーハウス、それにデズの象の鼻と、それを
のばすさまを思い起こさせる。
そうした記憶の洪水が、肩に重くのしかかってくるように思えてならない・・・
旅の輩や友たちの姿がもつれ、薄れて歪んで、ねじれた姿が顕わになっていき、
よたよたしたジョーカーの姿となって彼を取り囲み微笑んでいるではないか・・・
その顔は高貴で端正ながら、幾分疲れ果て、目や口がかたちづくるラインは、苦しみを湛えながら、
気遣わしげに見つめるその顔、それは・・・真実己の顔だった・・・
そのタキオンを取り囲んだ己の顔々は口を大きく開き、笑い声をたて、それは叫びにかわっていった・・・
こねくり回された土くれか突き崩されたスポンジのようなジョーカーの姿、平たい頭に、ユーモラスな茶色い瞳、
灰色のモップ製の髪、
ねじれた姿だ、それなのに・・
・・・それはすべて己の顔をしているではないか・・・
「許してください、誘惑はあまりにも大きすぎて、捨て去ることはできなかったのです・・」
そこにジョーカーの笑い声が響いて「あなたの発言がすべてとみなされるのよ、タキィ・・」
クリサリスの声がそこに被さっていく・・
「笑っていていいのですよ、あなたは安全なのだから・・」デズの声まで辛辣さを帯びているではないか・・・
「タク、こちらはLe Miroirル・ミロワール(鏡の意)誌のクロード・ボネル、Lidoリドでの事件で高名な方です」
Politicos政治屋をからかったわけだ」モーデカイが腹を揺すっておかしがっている・・
「ロナルドとナンシーのレーガン夫妻に対する感情的批判もしたのよね」そのペレの声にも笑いが滲んでいる。
その笑いの渦に、幾分距離をおいてとはいえジャック・ブローンでさえ加わっていて・・・
その瞳が何ゆえか己のものとかさなったような気がして、彼の目を通してものを見ているような感覚すら覚えたが・・・
ジャックが目を逸らし、すぅっと向こうへ動いたことによってその奇妙な呪縛は解かれた。
「クロードはフランス政界を、Alphabet Soup(競走馬)になぞらえるつもりなんだ」ディガーの野次だ。
「ドゥ・ヴァルミはRPRにCDS、JJSSにPCFに対しおいしい餌をちらつかせて癒着してるんだから・・」
「Mrダウンズ、私の支持政党をフランショー・ドゥ・ヴァルミを後援する連中と一緒くたにしないでいただけませんか、
我々共産主義者には、我々自身の利益があるし、我々の候補もまたいるのですよ・・」
「何者も勝利者たりえない・・」人の和から弾かれたかたちのブローンの声が耳に届いた。
ブローンは不機嫌な顔で、小さなジョーカーを見下ろしているではないか・・
その姿が薄れて、アール・サンダースンJrと重なって、柔らかい声が響いた。
「それでも世界の革命を目指す人々はつきない・・」
ジャックの顔面は蒼白となり、後ろによろめいて、パリンと音たてて掴んでいたグラスを握りつぶしてしまったのだ。
生態フォースフィールドが黄金の炎のように広がってジャックを覆い、そのフィールドが消えた後もぎこちない沈黙が
残されたままだった・・・
そこでつとめて冷静にタキオンが言葉を搾り出した・・
「一応礼を申し上げておきましょう」
「それには及ばない」
「ここにはワイルドカード代表としてきたのではなかったかね?」
「そうともいえるが、公務という色合いが強い、議会の一員としてここに立っているというところだ」
共産主義者も大歓迎だろうね」
ディガーが根も葉もない茶茶をいれてきた。
「かもな・・」
「なぜアールの言葉を引き合いにだしたのかしら・・それともツアーで誰かの啓蒙でも受けたのかしら」
クリサリスが尋ねている・・
「俺には低いレベルのテレパシー能力がある、アールに強い影響を受けた者がいて、そいつの精神を拾ったらしい・・」
そこでハートマンの秘書がたち戻ってきて、タキオンの耳元で囁いた。
「ドクター、ドクター・Corvisartコルヴィザールが到着しまして、お会いしたいとのことです・・」
タキオンは好都合とばかりに相好を崩して応じた。
「仕事が呼んでいるようです、紳士淑女の皆さん、お楽しみはこれまでのようですね・・」
そうして一礼を添えてその場をあとにした・・
一時間後ようやくささやかな室内交響楽団の傍に行き、メンデルスゾーンの(復元した)Trout quintet
ピアノ五重奏の旋律に身を浸すと、魔法のごとく心休まるよう思える。
そしてしびれ始めた脚の感触に、地球での40年という歳月が、己を萎えさせているの感じながらも、
腰に力を入れ、肩を引いて、顎を持ち上げて姿勢を正しながらも、安堵の念は耐え難く、グラスの助け
も必要であろうと思い至った。
そこでシャンパンを求めようと、ウェイターのところに身体を引きずっていったそのときだった。
身体がよろめいた、出鱈目でやたらまぶしくも感じられる精神攻撃が己の精神障壁に、重くのしかかって
きたのだ。

マインドコントロールか!
出所は?
外からですね・・・ではどこから、
そして目標は?

精神探査の疲労は重くのしかかり果てしなくすら思え、グラスを落として砕けたことすら鈍くしか感じられは
しなかった。
マインドコントロールの力は叫びのごとく感じられ、レセプションの客たちが灰色に転じていく・・・
それは現実さえ改変しているのだ・・・
かすかに見える光をたどり、精神探査の糸を伸ばしたが、その源は拡散していて、まばゆい光のように思え
焦点を結ぶことができない・・・


制服
護衛の一人
アタッシュケース
そして爆弾!

精神を飛ばし、その将校を捉えると、彼をコントロールしている存在と、タキオンの間で揺れ動き、
炎に焼かれる蛾のように身もだえしている。
彼の精神の糸はあまりの緊張にさらされ、蝋燭の炎がかき消されるように、弱弱しくなっていった。
そうして脚をもつれさせ、ぴかぴかに磨かれた木の床に倒れこんだが、その指は黒い皮のケースを
握ったままだが、動かすことを忘れているかのようだ・・・
おそらく遠隔操作を行っていた存在が、集中を途切れさせているのだろう、
あとは時限式なのか、遠隔操作で爆破するかなのだが、じっくり探る余裕もあるまい・・
だとしたら、問題はいつ爆発するかだろうが、もはや捉えた精神も感じられはしないというのに、
そう考えていると、ジャックが緊張を強め、飲み物を放って、長窓のところに駆け寄り、庭と噴水に
目を凝らした。
そのエースの咄嗟の動きに人々はどよめいている、タキオンは手を翳して祖先に侘びをいれながら、
精神的助力を求めつつも、その気持ちを一旦脇においやることにした・・・

そうしているとゴールデンボーイと呼ばれた男が、40年代のフットボール映画の主役のように
颯爽と飛び出し、ケースを見つけ出し、腹に抱え込んで、外に飛び出した・・
そうしてジャックの身体が黄金に輝き、その照り返しが窓を照らしたまさにそのすぐ後だった・・
窓の外から激しい爆発が巻き起こり、ホール全周を巡っている鏡が砕け散り、露出した腕を怪我した
女性の悲鳴が轟きわたった・・・
ガラスと建物の破片が木の床に雨のごとく降り注ぎ、人々は窓に押し寄せてジャックに目を凝らして
いるなか、タキオンは窓を背にして、大きく安堵の息をつく人々の間で膝まずいて己に言い聞かせた。
こちらに集中すべきだろうから、と・・・