ワイルドカード「ザヴィア・デズモンドの日誌Ⅵ」その2

          ザヴィア・デズモンドの日誌より                                                       G.R.R.マーティン 

                1月16日 エチオピア、アジス・アベバ

もちろんアフリカにも美しい景観というものもありはします。
ヴィクトリアの滝キリマンジャロの雪、千にも及ぶシマウマが丈の高い草原を疾駆するさまは、まるで風が縞模様を帯びたような美しさで圧倒されたものです。
名も知らぬ威容を誇る古代の遺跡を歩き、ピグミー族の工芸品を手にして眺めていると、はじめは恐怖とともにこちらをうかがっていたブッシュマンたちの表情が、好奇心の輝きに取って代わられるようになったのもここ数ヶ月における僥倖といえましょう。
また早起きして窓から朝焼けを見ていますと、2頭のアフリカ象と出くわしたのです、
そのビルのように聳える巨体の前に、朝の光を浴びながらラーダが立ちふさがり、
私が惨劇を予想して目をそらしていると、象はその鼻で軽く触れただけで、すぐに立ち去ったということでした。
このようにささやかな暖かさと優しさに出くわすことも少なくありませんが、それでも美しさと明るさは、
暗い表情とそこに浮かぶ悲しみをひきたてるものでしかありはしませんでした。
ですからここに長くとどまらなくていい、というのは喜びであるとすらいえるのです。
収容所とも呼べるべき場所に押し込められたことだけを言っているのではありません、その存在自体は問題の一端にすぎないのです、エチオピアの前に訪れたケニア南アフリカ同様、収穫祭の時期が巡ってくることすら悪い冗談と思えたほどでした。
アメリカで11月に行われるフットボールと飽食による莫迦騒ぎよりはましといえるかもしれませんが、それでもあまりいい感情を抱かないという意味では似たようなものなのかもしれませんね。
ジョーカーであろうとも何かの収穫、すなわちその恵みに対し感謝することはできる、そういった錯綜した思いを、アフリカという地は否応なしにつきつけてくるのですから・・
旅の第一歩として南アフリカほどひどいところはありはしませんが、もちろん憎悪を向けられたり偏見の目で見られることは、古巣でもありはしましたが、それは寛容と友愛といった言葉がおりなす薄皮と、法によって維持された文明的なものでしかありはしませんでした。
それは言葉の綾と断ずる向きもあるかもしれませんし、被害妄想と断ずる向きすらあるかもしれませんが、実際我々は、ケープタウンプレトリアで露になった憎悪というものを現実に目のあたりにするにつけ、アメリカにおいてはそういったものを偽善という名の薄皮のために表に出さないだけで、ひょっとして、あるいは・・・ともあれその裏には何があるにせよ・・・その偽善にすら感謝すべきなのかもしれません。
そしてジョーカータウンよりひどい現実がアフリカにはある、その事実をこそケニアは我々に突きつけてきたのです。
中央及び東アフリカのほとんどの国同様、ケニアもまたワイルドカードの猛威にさらされています、その種子ともいうべきウィルスが、空から拡散したとも言われていますが、どちらかというと、汚染された荷物を積んだカーゴが、ろくな検疫もされずに、もしくはまったく殺菌処理されないまま海路で上陸したという方がありえる話ではないかと思えるのです。
ウィルスに関してはかなり神経質な状態にあるにも係わらず、なぜそう易々とそれら汚染物質が持ち込まれるかというと、からくりがあるそうで、最後の寄港地を別にとることで、ニューヨークに立ち寄ったことを隠蔽し、ワイルドカードなど見てもいない、というふうに船長たちは装うのだとか・・・
そういえば先の大統領イディ・アミンがジョーカーエースだという噂もまた巷では囁かれているようで、トロールやハーレムハマーのような怪力を誇り、豹にライオン、鷲といった獣の力を備えた半獣半人に姿を変え、テレパシーを用いて獲物の精神を操り狩り出すと、そう彼のもとから生き延びたものたちが、その力を維持するためには人肉を食べ続ける必要がある、とまことしやかに囁いているそうですが、まぁそんなものはジョーカーでもエースでもなく、異常に思えるナット(常人)に対してのプロパガンダ(宣伝)か噂の類にすぎないとしても、彼の死が全ての真実とともに運び去られ、もはや突き止めることすら困難となっているように、世界のいたるところに、こういった真贋の鑑定のされないまま葬り去られた事例などといったものは数限りなくあるに違いありません。
それでもケニアとその周辺諸国が感染による悪夢にさらされているというのは厳然たる事実であります。
ワイルドカードがキメラ(突然変異)とするならば、これは土着の悪夢といえるでしょう、そうエイズです。
ハートマン上院議員とツアーメンバーほとんどが大統領の歓待を受けている一方で、我々数人はケニアの片田舎に6箇所あるクリニックを、古びたへり一台で身をすり減らして駆け回っていたのです。
その一台のヘリすら、タキオンのねばりと強請によってようやく割り当てられたものでした、政府としては、大学に博物館、禁猟区を巡り、教育者や政治団体と会う方を強く望んでいたからでしょう。
たしかにワイルドカードの歴史は40年にも及ぶものであり、それはもはやありふれたものでしかないかもしれません、けれどエイズは、世界にとって新たな脅威であり、我々はそれについて学ぶべきではないでしょうか、実際同性愛者同士の接触によって感染するという認識があり、私自身もそう考えていたことに罪の意識すら感じています、ここアフリカに来て初めて、それが誤った認識であることに気づかされたからに他なりません。
この大陸では、40年前マンハッタン上空でタキシアンゼノウィルス(「ワイルドカード」の正式名称)がばらまかれてから感染した被害者よりも、多くのエイズ患者が存在しているというのに・・・
たしかにエイズも狂気の産物といえるのかもしれませんが、ワイルドカードとて、それを引き当てた人間の90%を死に至らしめ、そのこと自体が痛ましく、おそるべきとこととはいえ、90%と100%の間にそれほどの違いがあるものでしょうか・・
たとえ10%に含まれて生き延びたとしても、そのことに意義がなければ生と死の境目も、希望と絶望との狭間すら意味をなさないものになるのではないでしょうか・・
ジョーカーとして生きるならば、死んだ方がまし、と言い募る向きもあるかもしれません、しかしわたしはその仲間に含めないでいただきたいのです、なぜならわたしには心に秘めた素晴らしい思い出と、成し遂げたことに対する誇りがある、それゆえに生きていたことを喜ばしく思うとともに、死にたくない、という思いも高まってきます、もちろん死の運命というものを受け入れてはいますが、それはもはや諸手を挙げてのものではなくなっているのです。そうかのロバート・トムリン(またの名はジェットボーイ)同様、わたしもまだジョルスン物語を見てはいないのです・・・それは誰もが同じではないでしょうか・・・
私がケニアの村々すべてで目にしたもの、死にゆく状態にありながら、生き、笑い、語り、同じように食べかつ排泄するように、愛を交し合い、すでに死を内包したものである生命を授かるのです。
ワイルドカードに感染し)黒のクイーンを引き当てたものは、言辞を絶した苦痛と変異ののちに死にいたりますが、それは速やかなものであるがゆえ、エイズの緩やかな死よりは慈悲深いものでないのかと・・・
とはいえエイズ患者であることはジョーカーであること同様痛ましいことに変わりはありません。
ジョーカータウンを発つ前は、5月下旬に名の知れたエンターティナーを起用したイベントをファンハウスで開催し、その収益をJADL(ジョーカー反誹謗協会)に寄付するよう考えておりましたが、ケニアを発ちニューヨークに着く前に、その収益をエイズ救済団体へも分割して寄付するよう書き換えることにしました。
我々パリアー人(アウト・オブ・カースト:賎民)はともに手を携える必要がある、そう考えたからです、そしてたとえ目の前にブラッククィーン(死)のカードが広げられていたとしても・・・そのための架け橋ぐらいにならなれる・・・そのくらいの時間なら・・・
・・・まだ私にとて残されているでしょうから・・・