ワイルドカード4巻12章綾なす憎悪パートⅣ

                 綾なす憎悪

                        パート4

                 スティーブン・リー


                    1987年1月1日 南アフリカ

夕方になって涼しくなってきたようで、ようやくベランダに出ると、ブッシュベルド盆地のぎざぎざな景観が目に飛び込んで牧歌的に思え、日の光のわずかな名残がラヴェンダーに包まれた青々とした丘の、燃えるようなオレンジを際立たせ、渓谷に目をやると、オリファン川の茶色に濁った水面が黄金色に輝いて見え、川沿いに立ち並ぶアカシヤの林の中では、ときおりホーホーと叫びながら、猿たちが眠りにつこうとしているようです。
それはあまりにも美しい光景ながら、人という存在の醜さを覆い隠せるものではなく、それを思うと吐き気がこみあげてきます。
使節団がこの国にとどまることになったのはジェット機関の異常によるもので、そのトラブルのために丹念に計画されていた新年の祝賀式典もだいなしとなって、ここ南アフリカで過ごすことになり、そのうえファザー・スキッド(烏賊神父)にザヴィア・デズモンド、そしてトロールプレトリアでともに食事の席についたところでその事件はおきました。
給仕頭が英語とアフリカーンで綴られた「黒人、有色人種、ジョーカーおことわり」という但し書きを示し、相席を断ってきたのです。
ハートマンにタキオンといった使節の高官とも呼べる人々がただちにボサ政府に抗議を申し立て、使節団はロスコープ禁猟区の小さなホテルに移動することで妥協策がとられたといわれていますが、彼らが施行している不快な政策そのままに、実際は隔離されたとみるべきでしょう。
そこでシャンペンの封を切って、ワインを口にしはしましたが、皆一様に強い酸味を口にした表情を隠しきれませんでした。
そこは貧民街よりわずかばかりましな、がたがたの檻とも呼べる代物で、そこで午後を過ごさねばならなかったのですから気分が悪いのは当然ながら、この新たなアパルトヘイトはお互いを侮辱して傷つけ合う諸刃の剣に思われ怖気すら感じられてなりません。
アフリカ先住民と英国人の、黒人やアジアの有色人種に向けられたそれがかたちを変えたもの、それが今度はユートランダーズ(よそ者)の再来、すなわちジョーカーに向けられているのです。
黒人と白人が反目しあう様子に、タキオンなどは、ジョーカータウンの不浄と汚れを再び目にしたかのように、その彫の深い顔を怒りで歪ませ、グレッグはかなり表情が重く、気に病んでいるのが明白でした。
使節全員が、プレトリアから随行してきた国民党の職員に詰め寄り説明を求めると、彼らはくどくどと公式の見解をまくしたててきました。
混血を防ぐための当然の措置だといい、そのためならジョーカーが排除されることが正当化されるのだという言い分を聞かされたのです。
ジョーカーに有色人種、そういった種の区分による隔離など我々の誰が望んでいるというのでしょうか?
もちろん彼らの流儀に干渉することは許されることではないし、モラルの欠如に対する不快はぬぐいさることなどできはしませんが、我々自身が抱えている問題を解決することでより良き道は歩めるでありましょうから。
もちろんすべての人々がそういった人種ではありません、アフリカ/ジョーカー民族会議(AJNC)は無法者であり、AJNCのリーダー、マンデラは常軌を逸した問題人物と
言われてはいますが、そうした体制に揺さぶりをかけているようです。
医者や上院議員、そして彼らが同行してくれたならば、この国の違った面が見られたのに違いないと思うと口惜しくてならず、最悪の年明けといわざるをえません。
手すりに脚を挟み、両手で顎を支えつつ落日に照らされる光景を眺めつつものおもいに戻っていった。
どこへ行こうとも、至る所に問題があることは容易に見て取れる、それにかわりなどないというのに・・・表面だけ見て過ごしているその裏側には、恐るべき真実が潜んでいるものなのだ。
そのときセイラの耳に、何者かの足音が届いたが、振り返りはしなかった。
それから手すりのわずかな振動で誰かが横に来たことがわかった。
「皮肉だとは思わないかね、この国自体は実に美しいというのに」
やはりそれはグレッグの声だった。
「わたくしもそれを考えていたのです」その言葉とともにようやく丘に向けていた視線を外し、グレッグに据えた。
グレッグの傍らにはビリー・レイがいるが、距離を置いてベランダの手すりに
もたれかかり控えているようすだった。
「ときには思うんだ、ウィルスがもっと強大だったならば、この星から
この醜い生命体、すなわち我々を一掃してくれただろうに、ってね、ここで
起こったことを・・」
そうして何かを振り払うかのように頭を振って、グレッグは続けた。
「綴って送られた記事を読ませてもらったよ、読み返すたび何度も激しい怒りに襲われたものだ。
感情をダイレクトに伝える才能に恵まれているんだね、セイラは、わたしもそうできたらと思えてならなかった、ここの差別を止めるためにできる何かをすることによって、レオ・バーネットのような人々の勢力を押し返す力となるのだろうね」
「だといいのですけれど」その言葉を力づけるかのように、グレッグの手が、セイラの手に寄り添うかのようにそっとかつ力強く重ねられ、指が絡みついてセイラのこころをも捕らえて離さなかった。
そこで旅の間に目にした様々な光景が蘇ってきて、涙を浮かべてしまったのだ。
「いつもはこんな風には動かされはしないのに・・・」
「ジョーカーのことだね」
沈む夕日の熱を頬に感じながら呼吸を整える。
「そうかも」そこで言葉を切って、それ以上話すべきか逡巡したが、ようやく言葉を継いだ。
「あなたもですか?」
彼はその言葉には答えずに、手を取りつつ、落日を見つめ続けている。
そこでセイラが言葉を継いだ。
「あなたと会う度に、あまりにも多くのことが変化していくようにも思えて・・」
そしてついに口に出した。
「あなたとアンドレアのことです・・・」
そこで言葉を切って、おののく息を整えてから言葉を継いだ。
「人々を労わり、その処遇にこころを痛めておられる様子を見ました。
そんなあなたを私は憎みさえしていたのです。
ハートマン上院議員という人間の、思いやりと善良な行いを、偽りと過った見方で見てしまっていたのです、ジョーカーのことを語るあなたを見ていたら、そういった誤った認識を変えなければならないと思い至ったのです・・」
添えられた手を引いて、お互いに向き合い、見つめはしたが、セイラは思わず嗚咽をもらしてしまったのだ。
「私はあらゆる事柄を内に秘めず、オープンにすることこそを望んできました。
 それなのに、いざとなったら己のこころが真実から目をそむけようとするのです、
 それが怖くてならないのです」
「あなたを傷つけるつもりなどなかったんだよ、セイラ」
その言葉とともにグレッグは、セイラの頬に手を添え、零れ落ちた涙適を拭ってみせた。
「でしたらどういうつもりかおっしゃってください、線引きが必要ではないのですか?」
「私はだね・・」そこまで言って、言葉を切ったグレッグを見つめ、その瞳に映った内なる葛藤は己のものだろうか、という思いにとりつかれているうちに、その顔が近づいてきて、暖かくかぐわしい息が頬にかかり、その手があごにあてがわれ、己の顔を持ち上げられたのを感じたとき、セイラは瞳を閉じていた。
それははかなくも優しい触れただけといえる口づけであり、セイラは顔をそむけはしたが、身体は寄り添わせたままで固まらざるを得なかった。
「エレンさんが知ったら・・」
「知ってるよ」グレッグが髪を指ですかしながら囁いた。
「話してある、かまわないといっていたよ」
「こんな、こんなことって・・・」
「これでよかったんだ」そう優しく肯定してみせたグレッグを、セイラは押しのける
かたちとなったが、黙ってそうされるに任せてくれているグレッグの姿に安堵を禁じえなかった。
もはや陽の光は、丘の向こうに沈み、グレッグの姿は闇にまみれ、かろうじて位置がわかる程度となっている。
「自分で決めるんだ、セイラ、エレンとわたしはもはや寝室を別にしている。
わたしはオフィスで寝泊りしているんだ、そこに戻ることになるから、望むならばビリーに声をかけてくれれば、いいように計らってくれるだろう、信じてくれていい、そのへんはこころえてくれているからね」
グレッグはしばしその手をセイラの頬の辺りで彷徨わせていたが、意を決したかのようにきびすを返し、素早くビリーの方に歩み寄って、短く何かを言い含めてから、ドアを抜けロビーの方に歩み去ったが、ビリーはまだ外に控えているようだった。
セイラは、谷が完全に闇に包まれ、日中に熱気が奪われていくのを見守りつつも、己のこころがすでに定まっていることはわかっていた、ただそれに従うことが憚られ、アフリカの空に何らかの予兆が現われるのを期待していたのかもしれない。
そこでようやくビリーのところに出向き、その緑の瞳が感情を覆い隠した表情にマッチしないなどと思いつつ、誰にいいきかせるともなく呟いたのであった。
「奥にしまいこまなくちゃね」と・・・