ワイルドカード6巻その13

               午後2時

           ヴィクター・ミラン

「ちょっと待ってくれ」チャールズ・デヴォーンの声だ。
「世界ツアーでグレッグと、何があったか知らないが、セイラ、
もう終わったことじゃないのかね」
ハートマンの選挙参謀であるこの男は、愛想のよい上院議員にはりついた
無愛想な影のようにしか思えず、猫背のみが微かに印象にとどまる程度の男だ・・・
それなのに電子レンジに入れ忘れたスプーンのように、頬が熱を持っているのをその言葉に
感じている・・
「チャールズ、私がいいたいのはそのことではなくて、彼のこれまでについてです・・」
そこでその曇りのない宵闇色のスーツに身を包んだ男がようやく振り返った・・
「コメントはできないよ、ミズ・モーゲンスターン、
これ以上風評を垂れ流すというなら、そちらの会社にもそれなりの責任をとってもらうことになるが、
それは賢明といえないんじゃないかね」
そう言って歩み去ろうとしたところで声をかけたが
「チャールズ、待って・・大事な話なの・・」その言葉は背中から跳ね返っていく・・
アントニオ・ガウディのトラッキア(通風管)、いやパイプを思わせる巻紙をぶつけたかのように・・
そうして目をやったマリオットのアトリウムにはいわゆる有機体とやらでごったがえしていて、
月明かりに照らされたかのように青白い顔をした代議士たちが、樹上で争う類人猿かのように、
どぎついリボンのついたたすきを身につけひしめいているさまは・・
派手な額縁に飾られたみすぼらしいペテン師の標本のように思えてならない・・
そうして気が遠くなりそうになりながらも、太ももを手の平で二度叩いて己に言い聞かせる・・
忘れてはいけなかったのよ、セイラ
そうして脳裏にアンドレアの姿を蘇らせようとした・・
その氷の彫像を思わせる姉の美しい姿を・・・
ガラスを響かせるような笑い声、溶けかかった氷菓を思わせる眼差し、そして
セイラには望むべくもない、小ぶりで均整のとれた唇を・・
それもすべて30年前に失われてしまったのだ・・
いま大統領になろうとしている男に殺されて・・・
その他人の意思を歪ませる能力によって、その歪みを利用され、意のままにされた男に殺された・・
もちろん証拠はない・・
それでもその、姉の不慮の死というものに対する疑惑は燻り続け、ジョーカータウンを綿密に調べることになり、
それゆえ報道を志すことになった・・
そうしているうちにジョーカー問題の権威と目されることとなり、ジョーカータウンのスラムに隠蔽体質にごまかし・・
そして秘められた悪をも知ることになったのだ・・

花形リポーターとしてよりも、むしろとりつかれたように調べはしたが、人形使いの見えざる糸はかけらも見当たりはしなかった・・
そう、スタックドデッキに乗ってあのWHOツアーに参加するまでは・・
そこでハートマンという男の罪自体を確定するに至る最後のピースを手にできると信じて・・
それなのに、思い出すだに髪につめたい汗が滲むように思えてならない・・
その信念は揺らぎ、指の間からこぼれ落ちて、彼に気持ちがあるかのようにかたちを変えられてしまっていた・・
内なる声が、それ自体が証拠だと叫び続けていたというのに・・
違和感をとどめて汗ばんだ身体をかいくぐり、するりと内にも潜りこんできたのを私はとめようともしなかった・・
そうしていいようにされてしまった、かのロジャー・ペールマンが、シンシナッティの午後にそうされたように、
そうして姉は美しいまま逝ってしまったのだ・・
それだけじゃない、自分が姉のできそこないのイミテーションだといい続けてきた私を、その姉のかわりにしてのけた・・
そうだ、確証は得たといえる、操りの糸が己の精神に触れたのを自ら感じたといえるだろうから・・
アンドレアが彼の告白にいやな顔をしていて、彼が私の精神と身体を欲しがっているなんて、と冷たく言い放っていたのがいまさらながら思い返されてくる・・
それでも誰も精神の奥深くでなされたことは見通せないゆえに、その確証自体は証拠たりえない・・
壁の向こうの制御室はクラスター3といったか、そう千路に乱れる感情をジャーナリズムの精神に基づいて、エスカレーターを制御するように整然とまとめあげなければならない・・
悲しみにくれた仮面の下の素顔、慈しみをまとったその所作の裏に潜むワイルドカード能力、すなわち隠しおおされた人形使いを公然と明らかにすればいい・・
そう考えたときに、罪悪感が顔をのぞかせてきてしまった・・
ワイルドカードに対する人々の感情はこじれはしないだろうか・・
彼を信じるジョーカーはどうなってしまうのだろうか・・
己に対する炎を思わせる怒りの感情が内にたちのぼっていく・・
次のアメリカ大統領と目された男が精神操作能力を備えたエースであったところで、それが彼らにはなんだというのだろうか・・
それでも血の赤に彩られた人形使いが人々に毒を及ぼすイメージには吐き気もまた感じてならない・・
そこでシドニーという名の部屋に代議士やマスコミが群がっているのに気づき、
その内の一人、自分より幾分背の高い男に尋ねてみた・・
「あそこに何かありましたか・・」
「バーネットの狂信者たちのようだね・・ハートマンにとってはうまくつけいる
隙になるんじゃないかな・・」
男はデュカキス候補支持のたすきを身につけていて、言葉に悪意が滲むのを隠そうとすらしていない・・
この男と同じではないだろうか?己の内の怪物をおさえきれていないだけではなかろうか?
そうして思わず呟いていた
「ハートマン議員とて昨年のWHOツアーでは思慮のたりないワシントンポストの娘を扱いかねていたのじゃないかしら・・」と・・・


                      スティーブン・リー

スイートを訪れる代議士に政治家の列はとぎれることなく、その情報を的確に引き出すエーミィの能力には驚嘆するばかり・・・
それはそうだろう、時期大統領候補として頭一つ抜きん出ていれば、あえて敵に回そうともすまい、当然取り込もうとするだろう・・・
とはいえグレッグとしては、気の休まるときはなかったといえよう、なにしろパペットマンが出てこないよう精神の奥にきつく封をした状態を保っているようなもので、今週末はたしかにパペットマンは沈黙を守っていて、精神の蓋を押し返す力が弱まってはきたというのに、また宥めすかす声が内に響き始めたではないか・・
出せ、そうすべきなんだ
強いて無視するように勤めたが、それでも常よりも気が短くなっていて、気を緩めると笑顔も簡単にしかめっ面に変わってしまう・・
パペットマンの咆哮をかいくぐりノーといい続けるのは至難の業といえよう・・
これでは誰がみたって、政治家としては失格というものだ・・
そこでオハイオ州上院議員であるグレンとメッツンバーグが予定通りに現れた・・
エレンがドアのところに出迎えに行っている間に、グレッグは寝室で下着をかえていると、メッツンバーグがいつものように
追従を口にしているのが耳に入ってくる・・
「母子ともに順調といったところでしょうか?」
姿を現したグレッグに笑顔を向けながらエレンが語りかけてきた・・
「ジョンにハワードよ」それに頷きながら応えた。
「バーにあるものはどれでもお好きにどうぞ、お二人のような影響力の強い方々が直々においでくださったのですから、
当然というものです・・」
もういいだろう
実際はそういいたくてかなわない、こころが常に二つに引き裂かれ、引きずられているのだから、
一人にしてほしくてかなわないというのに・・
メッツンバーグは体裁よく微笑んでいて、グレンは宇宙飛行士時代に培った忍耐強さを発揮して
簡単に頷きながらも表情も変えずにだまりこくっている・・・
二人ともエレンの方により関心があるとみえて、幸いグレッグが実際に相手せずにすんでいる・・・
エレンもそれを心得ていて、当然のように裁いてくれた・・・
「お二人の政策はうかがっております・・Now全米婦人連盟の会合でうかがいました、ERA男女同権運動に賛同してくださっているとか・・」
そういってグレッグに向けて微笑んで見せたところで、グレッグはエレンを腕に抱き、強く口付けしてから言葉をついだ・・
「エレン、君には感謝に堪えない、君の協力がなければ・・一日たりとものりきれず、疲れ果て、ストレスにのみこまれていただろうね・・」
言葉がとまらなくなっていた、こらえがきかなくなっているのだ・・
「いったいどうしたというの・・」
グレンとメッツンバーグが見つめる前で、エレンは口付けで言葉をとめてみせた・・
「お客さまの前ですよ」そうしてエレンは怪訝な顔をしている。
すまなそうに微笑んでグレッグは応じた、自分でもその表情は空々しく感じられてならない・・・
「それでは場を改めよう・・ベロ・モンドでディナーはどうだろうか・・」
「6時半からでしたら可能です」さすがはエーミィだ、すかさず都合をつけてくれた。
そこでエレンが黙ってグレッグを抱き寄せてから「愛してるわ」と言葉をかさねてきた・・・そうしてしばらく視線を交わしてからわずかに離れた。
内でパペットマンが咆哮しているのを感じ、まゆに汗が滲み、手の甲で拭ってから室内にとって戻り二人の代議員を相手にすることにした。
オハイオは順調なようですね・・それにカリフォルニアは9条C項の助けが必要なようだが・・」
どうも二人とも話を聞いていないように思えて聞き返していた。
「どうかしたのですか?」
「どうも問題が生じたようなんだ・・」グレンがそうきりだしてきた。
「例の視察旅行でのあなたとモーゲンスターンの関係についてろくでもない話がでてきているようで・・」
もはやつづきは聞くに耐えなかった。
どうにも無情に結び付けられたものだ。
パペットマンの最初の犠牲者、アンドレア・ホイットマン、それがセイラの姉だった。
あのときグレッグはわずか11歳にすぎなかった。
セイラは姉の死に疑いを抱いていたのだ。
あのワイルドカード視察旅行でパペットマンの力で二人は付き合うようになり、
なんとかごまかせはしたのだが・・
民主党の代表選考、大統領候補になること、そのすべてが今度はゆるごうとしているのだ・・あのゲーリィ・ハートが陥ったように・・
その二の舞を踏むことも充分にありうるといえよう・・
内で言葉にならない声が響き、それは叫びに変わっていったのだ・・


           ヴィクター・ミラン

ヒルトンに戻ると、電話にはあふれかえらんばかりの留守電が入っているに
違いない・・
DCのBraden Dullesブレーデン・ダラスからだけでも2万通ものメッセージが入っていて、
交換手もきりきりまいしているに違いない・・
喉にこみあがるものを感じている、初めてコカインをやったときのような、
そうあれはデヴィッド・モーゲンスターンという精力的な法律家と結婚するまえだった・・
心臓が正常に動くのを拒んでいるかのような・・
「これだわ」
第一手は指された、そう始まりがをつげられた、ようやく火蓋がきって落とされたのだ・・